80代、人生これから

80代、人生これから

双葉社

 

ダイヤル・サーピス(株)創業者代表取締役社長

今野由梨

 

はじめに

『ウチの子、夜泣きがひどくて……もうどうしたらいいか……』

『初めて赤ちゃんを育てているんですけど、全然ミルクを飲んでくれなくて』

ズラリと並んだ黒電話に、一日中ひっきりなしにかかってくる全国のママからの切迫した声、声、声。なかには、育児の悩みをやっと誰かに相談できた安堵からか、電話口で泣き崩れるママも珍しくありません。

 

「大丈夫ですよ落ち着いてどうなさいましたか?・」

受話器を握りしめながら誠心誠意、耳を傾け助言する相談員たち。その表情

 

は真剣そのもののなかにも、豊かな経験者ならではの優しさが溢れています。『ありがとうございました。助かりました!』

新米ママの明るいお礼に、ホッとしながら受話器を置くや否や、息つく間もなく再び電話のベルが鳴り響きます。「はい、こちら『赤ちゃん110番』です。どうなさいましたか?」

改めまして、皆さんこんにちは

 

ダイヤル・サービス株式会社の代表取締役社長・今野由梨と申します。もしかしたら、「ダイヤル・サービス」という社名はご存じなくとも、「赤ちゃんー 10番」と聞けばピンとくる方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

西武セゾングループの堤清二さんにご賛同いただき、我が社が育児相談ダイャル「赤ちゃん110番」を開設したのは1971年のこと。幸い、数多くの方がご利用下さり、今や子育てだけでなく、職場のパワハラ、セクハラ、に健康相談、新型コロナに至るまで、電話サービスは多岐にわたっています。

でも、ここまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。起業家としても、ひとりの女性としても、この国、そして世界に前例のないことに「挑み続け」、「試され続けた」 85年間少しだけ、これまでのそんな人生をお話しさせて下さいね。

1936年6月。かつての東海道五十三次の宿場町であり、伊勢神宮への最初の参道の町とし

くわなし

て栄えた三重県桑名市で、私はこの世に生を受けました。6人姉妹の次女です。生まれて最初の記憶は、 1歳の誕生日を迎える前の春。

長良川堤防の桜並木のもと、乳母車に寝かされている私の顔に舞い散った花吹雪と、母方の祖父の子守唄……なぜかそのメロディーまで、昨日のことのように覚えています。

あ、よいよいよい。あ、よいとこよいとこ、よい1歳足らずの赤子にそんな記憶があるものかと、その後もずっと家族や友人たちの間でも話題にされていましたが、絶対に譲れない確かな記憶です。

海に遊び山を駆け巡り、私はどこまでも幸せな子供時代を過ごしました。でも、戦争がすべてを、徹底的に破壊したのです。

か、

1945年7月の桑名大空襲で、美しかった城下町も、あの桜並木も灰儘に帰し、たくさんのかけがえのない命が、たった一晩で消え失せました。家族とはぐれて猛火のなかを逃げ惑った末、奇跡的に生き残った9歳の私は、固く心に誓ったのです。「いつか私たちをこんな目に遭わせたアメリカに行って、絶対に『お願い、もう二度と戦争はしないで!』って訴えるんだ!」と。後年、実に意外な形でその願いが叶えられた経緯は本稿⑭話に譲りますが、平和への強い思いと生き物たちへの愛は、今も私の根幹をなしています。

「女が大学なんて」という周囲の無理解に屈することなく、必死で奨学金をかき集めて津田塾大学英文学科に進学したものの、就職活動は全敗。残念ながら1958年当時、女性である私を雇おうという企業はゼロでした。

はじめに

「女が大学なんて」の次は、「女が働くなんて」の壁……たとえ企業に就職できても、「女性は25歳までに結婚退職」が暗黙の了解という時代でしたから。定年まで頑張って社長も目指す、などという女は一笑に付され、切り捨てられました。

ならば、私は自分で会社をつくるしかない。必ずつくってみせると決意し、その決心は揺るぎませんでした。 23歳からの10年間、ほぼすべてを起業準備に費やし、ついに『一般の生活者が発信するメディア』を掲げたダイヤル・サービス株式会社を起こしたのです。

まだまだ続く高度経済成長に日本中が沸き、水前寺清子さんの歌う「三百六十五歩のマーチ』が世を席巻していた1969年5月1日。 32歳を迎えた私は、この日、記念すべき第一歩を踏み出しました。当時は誰も手をつけていなかった、電話回線を使っての新ビジネスに挑戦するべく、東京・笹塚の6畳1間で産声を上げた我が社ですが、武器はコロンと置かれた愛らしい 2台の黒電話、志を同じくする6名の女性たち、そして、私のガッツだけ。「女による、女が主役の、女が世を変え、動かす会社」ダイヤル・サービスは、男社会からどれほど異端視されたことか。いや、異端視というより、「無視」「敵視」に近かったかもしれません。

 

目玉の「電話秘書サービス」もなかなか軌道に乗らず、スポンサーになってもらおうと大企業を訪ねても、社長の私が女性と見るや、あからさまにバカにされたり、今で言うセクハラ発言を嵐のように浴びせられたりその間にも、みるみる貯金は尽きていぎます。

風向ぎが変わったのは、1971年。

冒頭に挙げた「赤ちゃん110番」に全国のママから電話回線がパンクするほど相談が殺到したのです。

もちろん、そのこと自体は大変嬉しいことでしたが、電電公社(現・NTT)

を始め関係省庁から激烈なお叱りを受けるハメに。

ただし、これが大きな転機となり、国や関係省庁を相手に一歩も引かず、法規制と戦って20年近く。

ついに1989年、私が20年前から国に提言し続けた、電話回線を使った情報料課金サービス「ダイヤルQ2」へと結実させるに至りました。日本の「公衆電気通信法」、つまり日本の情報通信の一大革命を20年もかけて成し遂げたのです。

しかし、発案者の私には、なんと一銭も入ってきませんでした。しかも、”ケモノ道〟はそれからの

50代以降が本番でした。

さらなる新ビジネスの掘り起こし、後輩起業家への本格的な支援……気付けば昭和、平成、令和にわたって社長を務め、今年でもうすぐ54年目。

コロナ禍の初期に見舞われたダイヤモンド・プリンセス号のクラスター発生時も

いちはやく乗客・乗組員らの相談窓口を開設するなど、相変わらず10センチのハイヒールで、道なき道をひた走っております。

健康・長寿は素晴らしいこととはいえ、長く生きてきて、いろいろなことがありました。思えば試練の連続でした。

信じていた人に裏切られたことも、悪意に満ちたバッシングを浴びたことも数えきれません。

「どうして私だけが、こんな目に遭わなくてはならないんだろう……」

時にはやり切れない思いに、胸をかきむしりたくなるようなこともありました。

 

でも、これだけは言えます。たとえいくつになろうとも、人生、「やる」と決めて飛び込んでしまえばな

んとかなる。

それも、「自分のため」だけではなく、「誰かの笑顔のため」に行動しようとすれば、どんな困難にぶつかろうとも、最後には結局すべてうまくいくのだ、

その証拠に、「もうダメか」と思いかけた時ほど、なぜか、どこからか、必ず救いの手が伸びてきました。そのたびにご恩は倍にして返し、返しきれないご恩は次の世代に贈り続け、実り多い「今」を生き抜くことができています。

あの地獄の試練がなかったら、この今はない。これだけは絶対に確かです。本当に、ただただ感謝あるのみです。

これから私のように80代を迎えられる方。まだ遠い先だと思われる方。いったいどうなってしまうんだろう……と不安な方もおられるでしょう。確かに体力や記憶力など、若い頃と同じようにはいかないことは、私にもあります。ただ、この変化を単純に「老化」や「劣化」ととらえるか、「変化」あるいは「深化」ととらえるかは、その人次第。

「○歳になったから、もう遅い」「○歳になったから、こんなことをしてはおかしい」「みっともない」

などと、誰かの価値観や世間の「平均値」の押しつけをおとなしく受け入れて、流されてしまっていることはありませんか。仮に今、迷いや不安のただなかにあったとしても、それは単なる「通過点」。

物事のとらえ方や考え方ひとつで、その先の、そのまた先に、素睛らしい充実期が待っている可能性も十分あります。たとえ 80代になっても、いえ、 80代になったからこそ見える、感動の景色もあるのです。真っ赤な太陽が地平線に沈んだからこそ、神秘の光を放つ月や星の輝きが見えるのではありませんか。経験したからこそそれがわかった、この 85歳の私が保証します。

いろいろあっても、皆さんも私も、今を生きられているんですもの。

はじめに

きっとすべてはうまくいっているし、ちょっとした考え方の変化で、もっとうまくいくはずです。本書では、そんな私なりの体験に根ざしたアドバイスを、できるだけ身近なエピソードから語ってみました。さあ、リラックスして、気が向いたところからページをめくってみて下さい

ね。

 

 

はじめに

 

1 50代は仕込み。本領発揮は60代から

2 年齢なんて自分で決めちゃえばいい

3 「○歳から高齢者」?今の時代、ナンセンスよ

4 「元気なフリ」をするだけで本当に元気に

5 「若見え」よりも「あるがまま」が一番

6 プラチナヘアは50年後の「卒業証書」

7 「記憶力」よりも大事なことがある

8 決めごとを作りすぎると苦しくなる

9 やりたいことは我慢しない

10 誰かのためなら「モルモット」にもなるわ

 

 

11 暗いニュースは見ないが勝ち

12 メモは心のアンチエイジング

13 あめ玉1個だって誰かを笑顔にできる

14 病院に行かなければ「余命宣告」も受けない?

15 「結果」ではなく「個性」

16 「薬漬け」より歌って踊ってハッピーに

17 うつを撃退するには「誰かのために動くこと」

18 「貯金ゼロ」「財産ゼロ」でも、不安もゼロ‼

19 手放すと素敵なものがきてくれる

20 愛する理由に「本物」も「偽物」もなし

21 「誰かの評価」より「自分の納得」

 

22 人は変化する生き物

23 「衰える」のではなく「質」が変わる

24 鈍感バンザイ!

25 逃れられないことはゲームと思ってクリアする

26 人生は「冷蔵庫探検隊」のごとし

27 「賞味期限」より自分の感覚を信じる

28 「出会うこと」こそわかりあえる一歩

29 私の世界から大切な存在がいなくなることの本当の意味

30 「準備して」この世に生まれてきた人はいない。人生アドリブよ!

31 いくつになっても「人生を豊かにする5K」できっとうまくいく

 

おわりに

 

 

 

第1章

1 50代は仕込み。本領発揮は60代から

 

人生 100年時代。

昨今よく聞く言葉ですよね。

男女ともに平均寿命が大幅に延び、これまでの「学ぶ」「働く」「引退して余

生を送る」というライフパターンが、もはや通用しない世の中になっています。

できるだけ早く老後の資産や働き方、人間関係を見直して、きちんと生涯設

計しましょうなどと、国家レベルで問題となっているわりには、実際に社

会の中枢を担っている年代層は、いまだに30~50代。ここ 30年ほどを見渡して

も、あまり変わっていないのではないでしょうか。

一方、60代以上は、猛烈なスピードで増えている。

なんだかすごくもったいない気がします。

というのも私自身、「やっと本領発揮できるようになった!」と実感できたのは

60代から。

50代は、まだまだ仕込みの時期だったんです。

まあ、確かに若くて元気はあったかもしれません。

でも、 85歳の今の自分から見たら、あの頃の私はそれなりに評価されて真剣勝負をしていたとはいえ、視野も狭く、まだまだ人として未熟だったと思います。

何でも体当たりでぶつかって、とにかくいろいろな経験を詰め込んではきたけれど、それが持つ意味なんてあまりわからないままに、毎日、死に物狂いで飛び回っていたような気がします。

そんな何とも可愛い 40代、 50代を経て、本当に自分がつくろうとしているもの、つくりたいものにようやく気付けたのは、 60代になってから。そして私の一番の財産は、何と言っても人材・人脈でした。 70代になると、知の財産もずいぶんと蓄えたくわられましたね。 40代、 50代に比べると何百倍もの経験値に膨らんでいたはずです。

ただ、残念なのは、この年代になると、第一線からあまりお声がかからなくなってくることです。

これからやっと、お役に立てる時がきたのに。まさに、宝の持ち腐れです。その財を、新しい時代のために活かしましょう。私が皆さんに一番言いたいこと、それは「持ち逃げ厳禁」です。多くの経験を積んでやっと手に入れた知恵や技術、仲間や人脈。そんな宝を活かさないで終わったら、宝の持ち逃げ現行犯。絶対に許されることではありません。

「60代になったら、引退して後進に道を譲らなくては」そんなふうに思っておられるあなた。本番はこれからですよ!70代、 80代は、ある意味、今が人生の旬。若い世代のためにも、その圧倒的な経験値で、大きな花を咲かせてあげようではありませんか!

 

2 年齢なんて自分で決めちゃえばいい

 

以前はお堅い財界誌や経済誌、新聞などのメディアに取材されることが多かったのですが、最近は50代以降の女性読者をターゲットとした雑誌のインタビューをお受けする機会も増えてきました。それも、仕事に関することだけでなく、私個人の生き方や考え方をテーマに特集を組んでいただいたりして、大変光栄に思っております。同じ時代を生きる女性同士、今、迷っていたり、悩んでいたりする皆さんのお役に少しでも立てれば、こんなに嬉しいことはありません。

先日もある記者さんに、こんなことを尋ねられました。

 

「今野さんが60代、あるいは70代の頃に想像しておられた〝80代〟の印象と、実際のイメージは違いましたか?」

その答えは、

「違っているとも、いないとも言えません」

そもそも私は、60代の時も、70代の時も、「80代の自分はこうなっていて、ああなっていて……」なんて想像したこともなかったのです!

というのも、私は、「いくつになったから、こうあらねばならない」

「いくつになったから、もうこうしてはいけない」とか、これまでの世の中の通念に引き比べて自分を考えることなど、一度もありませんでした。年を重ねるのは、ただの自然現象。どう生きるかは、自分の自由。年齢を理由に、あれをしなきゃとか、これをしちゃダメといった「自己暗示」をかけるなんて絶対おかしい。そう思われませんか?

人生は一度っきりです。

想定外やら一大事やら、いろんなことが起こりはしますが、たいていのことは、本気で取り組めばなんとかなります。

大丈夫!電話回線を使った日本初のサービスを起業して 50年余、国の法規制や男社会の嫉妬しつと.妨害・偏見・差別にこれでもかと痛めつけられながらも、どうにかここまでやってこられた私が断言するのですから、間違いありません。

年齢を理由に尻込みするのは、ちょっともったいない。いっそのこと、「年齢なんて自分で決めちゃう」ぐらいでちょうどいいような気がします。誰が何と言おうと、私は私。心はハタチなんて素敵じゃないですか。

やりたいこと、やるべきことは、やれるうちに挑戦する。私は誰? 何のために生まれてきたの?もっと自分を大切にしてあげたいですね。

「〇歳から高齢者」?今の時代、ナンセンスよ

この間、55年来の財界のお友達を久しぶりに訪ねて行った時のこと。

「今野さん、なんでそんなに変わらないの

開ロ一番こう驚く彼に、「なんで変わらなきゃいけないんですか?」

”ご挨拶あいさつニッコリ笑って

しました。

ともあれ数年前第一線から退いた彼が驚くのも、

無理はないかもしれません。

年齢だけなら、私も彼同様の「高齢者」、

それも「後期」がつくようになって

久しいです。なのに、目の前の私は、10センチのハイヒールに、

10年来愛用するジャケットとワンピース姿。

それに、相変わらずの憎まれ口。

なにより、今もフルタイムどころか、オーバータイムで働いていますもちろん日々、見た目も含めて少しずつ変化はしているはずですが、彼が現役だった頃の私に対する印象とは、あまり大きく変わってはいなかったのでしょう。

実際、いわゆる「高齢者」と呼ばれる 65歳になった途端、見た目から生き方まで、何かがガラッと変わった実感はありません。いくつになっても、私は私「高齢者」という別の生き物になったわけではありません。 85歳の今も、「今野由梨」のままなのです。

だから私は、「〇歳から高齢者」と決めつけられる国の制度に、大いなる違和感があります。「〇歳なんですから、さあ、引退して下さい」「もう〇歳なんだから、××しましょう」といったように、国や誰かから、年齢で区切って一律に「ああせい、こうせい」と強制するのも、されるのもおかしい。実にナンセンスです。65歳以上といっても、 40代より活発な方もおられるし、まだまだ現役で働ける方も大勢いらっしゃいます。年の重ね方は、それぞれの大切な人生の数だけあるのではないでしょうか。

私の母は、齢よわい95を数えてからもシャキッと背筋を伸ばして、明る<元気に高齢者施設のボランティアをしておりました。タオルをたたんだり、お話し相手になったり、できる範囲で楽しそうに入居者のお世話をする母は、施設でモテモテだったようです。特に、年下の男性(と言っても70、 80代ですが)から、とってもモテていたみたいで。皆さん、「次はいつ来てくれるんだろう。早く会いたいなあ」と、母の訪れを心待ちにしていたそうです。入居者の方たちを生き生きとお世話する母の姿は、年齢で人間をくくる無意味さを私に教えてくれました。

「年を取った」ことを理由に、何かを諦あきらめなくてはならないような社会は、誰にとっても窮屈になる一方この世に年を取らない人などいません。働くにせよ、のんびりと暮らすにせよ、最後まで自分自身で「選べる」世の中であってほしいと切に願います。引退したければ、そうすればいいし、まだまだ働きたければ、どんどん働くべき。誰に遠慮もいりません。であればこそ、その当事者であるひとりひとりは、自分が誰のため、何のためにどう役立つのか、それは考えておくことが大切ですね。その上で、年を重ねた人の多様性も、ぜひ大事にしてほしいです。若い人と同じような体力はないかもしれませんが、その計り知れない経験値

は活かさなきゃもったいない。日本の大きな宝の山ですから。

 

ちなみに、私の起こしたダイヤル・サービスは、 1969年に創業した時は、女性だけの会社。そして、定年は最初から 65歳でした。男性 55歳・女性はなんと 30歳定年が主流だった当時は、これが話題となって「クレイジーだ」とバカにされたものですが、今では我が社が最先端!

今日も皇居外苑・千鳥ヶ淵にほど近いオフィスでは、幅広い年代の社員が、それぞれの得意分野を活かしながら元気に活躍してくれています。申すまでもなく、最高齢は社長の私です。創業以来、半世紀以上も社長を続けている女性は、今のところ世界でも類を見ないそうで、「ぜひ、ギネスにでも申請しましょう‼」と周囲から勧められています。

 

4 「元気なフリ」をするだけで本当に元気に!

 

「今野さんって、いつも本当にお元気ですよね。何か秘訣でもあるんでしょうか?」これも、最近、お会いする方からよく聞かれることです。「何か特別な食事、エステ、薬、運動でもされているんですか? え?特に何も? 嘘でしょう……こっそり教えて下さいよ」

なんて聞かれても、困ってしまいます。だって私も人間、生き物です。「元気じゃない」時も、当然ありますから。毎週のように泊まりがけの出張が入ったり、会食が続いたりする時期は、さすがに疲労困懲。

帰宅するなりドサリとベッドに倒れ込む時もあるし、寝る時間が取れなかった日は、会社でも、「悪いけど、 15分だけ寝かせて……」とお願いして、社長室で仮眠をとることもあります。

 

それでも、いつも人前では元気に見えるとしたら。それは、そんな時こそ「気」を入れて、「元気な私」を演じているから。お気に入りのパールのネックレスで首元を華やかに彩り、ロイヤルブルーや

ワインレッドの色鮮やかなジャケットに袖を通す。ハイヒールを履いて視線を上げ、口紅を引いて、背筋をピンと伸ばす。そうすれば、気持ちもいつしかついてくる。「元気を演じている今野由梨」が、本当に「元気な今野由梨」に近づいてくるんです。

実は脳って、「だまされやすい」のだそうです。なんでも、「元気を演じている」だけで、脳は「ああ、元気なんだ」とだまされて、本当に元気だと感じさせる行動ができるんだとか。

私にはまだまだ、やりたいこと、やらなくてはならないことがたくさんあります。

社員たちを守ることはもちろん、二度と戦争のない世の中にしなくてはいけないし、カーボンニュートラル(温室効果ガスの排出を実質ゼロにすること)にも真剣に取り組まなくてはならない。農業や世界の貧困とも。

もっともっと世の中のお役に立たねば、生まれてきた意味がない。死んでるヒマなんかないんです。

だから、これからも、疲れた時こそ気合いを入れて「元気なフリ作戦」で乗り切っていこうと思います。

 

 

5 「若見え」よりも「あるがまま」が一番

自慢話のように聞こえてしまったら恐縮ですが、講演会に呼んでいただくたびに、皆さんから、

「本当に今野さん、 85歳なんですか⁉」と目を丸くして尋ねられることがよくあります。

95歳で大往生した母も、晩年まで生きざまは妙に(?)若々しかったですから、遺伝もあるかもしれません。でも、さすがに私にも、す。 25年前に養子に迎えた息子の譲司が、「ママ。僕がお金出してあげるから、そのシミ取ったらどう?レーザーなんかで簡単に取れるみたいだよ」

メイクを落とせばそれなりに、シミやシワはありま

と言ってくれるけれど、その気持ちだけで十分。

いわゆるアンチェイジングには、今も昔もまった<興味がないんです。

思えば若い頃から、ほとんどお化粧というものをしませんでした

32歳で起業して以来、無我夢中で突っ走り、服装にも無頓着。あろうことか、ある日、スカートを穿かずに家を飛び出したこともあります

1回だけですがいえ、1回で十分ですけど(笑)

さすがに、そんな私を見ていた当時の夫・今野勉さん(元TBSプロデューサ

ー・現テレビマンユニオン最高顧問)から、苦言を呈されたこともありました「仕事が大変なのはよくわかる。一生懸命やっている姿をみんなに見てもらう。だけど、髪振り乱して、化粧もしないで、”私は一生懸命仕事やってます!って言わんばかりなのは、男から見てちょっとイヤだな。

みっともないよ」一

その言葉はショックでしたね。

 

愛しい人の一言は、やはり効き目バッグンでしたそれ以来、少しは気をつけているつもりです。今はお互い、別々の道を歩いている今野さんですが、本当にたくさんのこと

を教えてくれました。とても感謝しています。

 

 

とはいえ、あれから 50年近くたっても、やっばり美容に入れ込むタイプではありません。

この十数年、美容院にもほとんど行きませんし、化粧品に至っては、乳液からファンデーション、口紅に至るまで買ったことがない。本当です。

というのも仕事柄、若手のベンチャー起業家の皆さんを支援することも多く、そのご縁で、「今野さん、これ、我が社の新作なんです。ぜひ使ってみて下さい」と頂戴する化粧品や健康食品もけっこうあって。言われるままに、夜はクレンジング剤でちゃちゃっとメイクを落として、肌にいいと評判らしいクリームみたいなものを塗って、それでお手入れはおしまい。

あんまりベタベタいろいろなものをつけるタイプでもないので、とにかく減らないの。ドレッサーがいっばいになって、困っています(笑)。

 

お花も、あるがままに咲いている時が、一番綺麗ですよね。

 

今回のご本のカバー撮影で、私の名前にちなんだ、大好きな百合の花を持たせていただきました。

ただ、どうしても花粉が落ちてしまうので、咲いている百合の雄しべの先端はやむなくカットされました。

撮影自体は写真家のタクミジュン先生の確かな腕と愉快な話術でとっても楽しかったのですが、切り落とされた雄しべのことが、ほんのちょっぴり心残りで。

撮り終わった後、我が家に持って帰ってガラスの花瓶に活けたら、やがて別の蕾が次々と開花しました。美しく、盛大に花粉を撒き散らしながら咲き誇る百合は、溢れる生命力そのもの。眺めているだけで、体の内側から元気が出てきます!

 

息子の譲司の気持ちは嬉しいけれど、私はこれからも、「あるがまま」の自分と付き合っていきたいと思います。

シミやシワを気にせず大声で笑ったり、またある時は、あちこちのベンチャーの息子たちを思いっきり怒鳴ったりの日々を送るほうが、私にとっては「若見え」よりもずっと幸せですから。

 

6 プラチナヘアは50年後の「卒業証書」

 

シミ取りやシワ伸ばしなど、いわゆる若返りやアンチェイジングにはまったく興味のない私ですが、髪だけは黒く染めています。祖母や母がかつてやっていたように、私もそういう年になってから、ごく自然に染めてきましたから。私にとって、染めること自体が、とても自然体なんですね。

 

昨今はグレイヘアというのでしょうか、白髪染めをやめてあるがままのスタイルで通すのも流行しているそうですが、それが心地よければ、そうすればいいのではないでしょうか。

大切なのは、自分自身がいかに機嫌よく、いかにのびのびと毎日を過ごせるか、だと思います。

染めてもよし、染めなくても素敵。

私にとっての「あるがまま」は、グレイヘアではなく、染めた髪の自分。だから、無理に変わろうとしなくても、変えようとしなくてもいいのでは、と思います。

 

でも、染めることに関して、最近、ちょっとだけ考えが変わりました。久しぶりにテレビで女優の草笛光子さんを拝見して、目を奪われたんです。「わあ、なんてゴージャス!」って。草笛さんは私より 3つ年上、今年で 89歳におなりですが、もうその麗しいことといったら。磨き抜かれた所作はもちろん、なんといってもあの艶つややかなプラチナヘア!

 

赤やロイヤルブルーのお洒落な衣装にも映える見事な輝きは別格の美しさ。

しばし見とれてしまいました。

で、私、決めたんです。

50年後、納得して社長を卒業する時に、その証あかしとしてプラチナヘアにしようって。

32歳で会社を起こして以来、男社会の魃魅魁魅と戦い、ケモノ道をひた走ってきた自分への、仕事人生 103年目の卒業証書として。気分も沈む加齢の象徴「白髪」とは対極にある、ご褒美ほうびとしてのキラッキラの。フラチナヘアです。

その時、私は 135歳。プラチナヘアの輝きに負けないような素睛らしい時間を、これからもまだまだ積み上げていかなくては。そう思うと日々の仕事にも、また一段と張り合いが持てそうです。

プラチナヘアの”卒業証書に似合う私でいられるために……!

 

7 「記憶力」よりも大事なことがある

 

社長という役職柄、政財界から関係省庁の方、さらには熱い志を持った若きベンチャー起業家たちまで、毎日実にたくさんの方とお会いします。時間が許す限りお目にかかって、貴重なアドバイスをいただいたり、逆に求められたら率直な意見をお伝えしたり。

人との出会いは、間違いなく私のかけがえのない財産。今も、週 415回は会食の機会を持ち、さまざまなジャンルで活躍する方たちと積極的に交流を深めて、自分の世界を少しでも広げるように努力しています。

何より、人とお会いするのは楽しい!スケジュール帳が空白になる日は、 1年 365日、ほとんどありません。

ただ、 1日で名刺入れがパンパンになるほどお会いすると、残念ながらどうしてもお名前が覚えきれないことも少なくありません。あんなに話が盛り上がったのに、後日再会した折、なかなかお名前や社名が

出てこない、いつお会いしたのか記憶があいまい……なんてことはしょっちゅう。

せっかく私のためにお時間を割いて下さったのに、と申し訳なく思うこともあります。

 

そんな話を、脳科学のレジェンドである旧知のお医者様にぽろりと漏らしたら、

「今野さん、そんなこと当たり前ですよ」

と叱られました。

いわく、「人間の脳は、人の名前を覚えるためにあるのではない」と。

人の名前を覚えるなんてことは、これからは全部AIやロボットがやってくれるんです。

AIで済むようなことを、なんで人間がいつまでもやらなくちゃいけないんですか。人間の脳はもっと尊い仕事、大切な仕事をするためにあるんです」

「もっと尊いー大切な仕事?」

誇る私に、ドクターは深く頷いて続けました。「そうです。僕は長年、今野さんを見ているけれど、あなたはそんな、人間の脳がやるべき大切な仕事を、しつかりとしてきているじゃないですか。時代の

変化が生み出す社会のニーズに応えて次々と新しいサービスやビジネスに挑戦したり……そんなことはAIではできない。それほどの尊い仕事をしているあなたが、人の名前が覚えられないなんて言うべきではありません」ドクターの叱咤激励に改めて感動し、また目が覚める思いでした。

 

ただ記憶するだけなら、 AIやロボットでもできる。

実際、近頃はこれまで人間がこなしていた作業が、彼らに次々と取って代わられています。

でも、異なるもの同士を「つなげ」、新しい価値を「生み出す」創造的な分野は、依然として人間の独壇場。

まさしく、電話回線を使って人と人との心をつなぎ、明日を紡ぐサービスを日本で初めて世に送り出してきた私の仕事と重なります。

この分野ならば私も、皆さまのお役にこれからも立てる自信がある。なにしろ経験値は 85年分、たっぷりあるのですから。世の中にはまだまだ、私にしかできない仕事があるのだ。そう考えたら、再びお腹の底から力が湧いてきたのです。

私より少し年下のドクターは、こう言って微笑ほほえみました。「僕なんか、とうの昔に人の名前なんて覚えられなくなっていますよ。もっと自信をお持ちなさい」

年を重ねて減っていくものも、確かにあります。でも、増えたり、深まったりしていくものも、間違いなくある。60代どころか、 70代、 80代にして開花する才能だって必ずあるはずです。

 

あなたにも私にも、そんな未知の宝がきっとある。

そう、それを見出し、それを世のため人のために活かして、誰かのありがとうにつなげましょう。

心から信じ、期待しています。

 

 

8 決めごとを作りすぎると苦しくなる

 

健康長寿のためにも、早寝早起きを。夜更かしなんて論外です。食事はゆっくり、よく噛んで。お酒は極力控えめに。1日0分のウォーキングが理想的。

ストレスは今すぐ、減らす努力をしましょう。それから、それから………。

世に言う「健康常識」は数あれど、私はひとつもできていません。

タバコこそ嗜まないものの、体にいいことなんて何にもしていないんです。たとえば夜更かしなど、もうしょっちゅう。財界のお友達やお世話になっている方の会社がテレビに出たら、どんなに遅い時間でも必ずチェックしますし、仕事が入ってオンタイムで視聴できない時は、録画してなるべく早く見ます。そして、携帯メールで感想をお伝えしたりすると、あっという間に午前様。この原稿に向かっている今も日曜日の夜中、もう2時です。

もしかしたら、日本で一番睡眠時間が短い 85歳かも(笑)。

忙しい時は、ゆっくりよく噛んでお食事などできませんし、お酒も大好き。さすがに最近は昔よりも控えていますが、ワイン、焼酎、日本酒、何でもござれ。どれだけ飲んでも酔いません。でも、家でのひとり酒はいたしません。

ウォーキングも、「歩くために」時間を取るなど、今の私には余裕がなくてとても無理。せいぜい、ハイヒールで社内を小走りに動き回るぐらいが関の山です。

ストレスに至っては……きっとストレス漬けですよ(笑)。

私、創業期から長年、「25日病」を患っています。社員全員に、毎月毎月、間違いなくお給料を払わなくてはならない。なのに銀行なんて、当時はケンもホロロに門前払いでした。そのストレス、プレッシャーたるや……。

こんな調子で、世の健康常識には完全に逆行している私ですが、あえて「こうしなきゃ」という決めごとは作りすぎないようにしています。もちろん、自分を律するという意味では、あったほうがいいんでしょうけれど、作りすぎると、それとのギャップにかえって疲れてしまいそう。「これは」ということ以外はできるだけ自分を縛らず、責めず、あるがままに受け止めて、思ったままに動く。それで十分ではないでしょうか。

私の数少ない決めごとのひとつ、それは「絶対にお給料の遅配はしない」と いうこと。

 

社員本人のみならず、その家族のことを忘れたことはありません。”誰かのためにやらねばならない“という使命感を伴ったストレスは、決して悪いことばかりではないのかもしれませんね。その証拠に、健康法には無縁なのに、なんとか倒れず遅配もせず、今までやってくることができました。今年で 54年目に突入する社長人生の、それだけはささやかな自慢です。

 

9 やりたいことは我慢しない

前話⑧でもお話ししたように、体によさそうなことをほとんどしていないのは、時間的に余裕がないのも確かにあります。決めごとを作りすぎると息苦しくなるばかりだから、やらないーというのも本当です。

でも、最大の理由は、「そもそも、健康法を試すこと自体、気が進まないから」。特に、 80代に入って、「ああ、やりたくないことって、やっばりやらなくてよかったんだ」とわかって、さらに肩の力が抜けました。

心からやりたいこと、好きなこと、気が向いたことを軸に据えて、自分らしく楽しめばいい、と。

だから私は、自分の「これがしたい!」を我慢しません。打ち合わせの席で美味しそうなクッキーが出たら、食べたければ喜んでいただきます。

62歳の時は、周囲の猛反対を振り切って、女性最高齢記録で米国ワイオミング州の 4000メートル級の名山グランドティトンにも登りました。登山未経験どころか、子供の頃からスポーツは苦手な私が、この山だけはなぜか「登りたい!」と思ったんですよね。

酸素は薄いし、登山というよりロッククライミングだし、まさに極限の壮絶体験でしたけれど……誰の声でもなく、自分自身の欲求に正直に従ったことで、生き物としての力はグーンと上がったのではないでしょうか。

その証拠に、 85歳の今も、現役で働かせていただいております。

まあ、もともと私の場合、昔からどちらかと言えば、「ダメ」って言われて「はい、わかりました」なんて殊勝な返事をするタイプではなかったような気もするんですけど(笑)。

 

実はもうひとつ、ある大学教授の方から興味深いお話を伺いました。

それは、「あまり自分から進んでやりたくはないけれど、体にも、脳にも、心にもいいと納得できるならば、ひとつはやってみる。それも、一生懸命やってみるのが、人間の生きるエネルギーを育てる上でも、とても大事である」ということです。

 

「やりたくないことは、やらなくていい」という先ほどの話とは少々相反するのですが、私はどちらも限りある生を満喫するためには必要なものだと思うんですよね。

まずは、誰が何と言おうと、やりたいことを、やりたいようにやってみる。

一方で、「うーん、あんまり気が進まないけど、これをやると心も体も整いそうな気がする。脳もご機嫌になるかなあ……」ということも、ブロックしないで試してみる。そして、”せっかくだから“一生懸命やってみる。

「これをやるのが大事だ」と思ったことを、ひとつでもいいからやってみるという姿勢こそが、私たちの細胞を活性化してくれるのかもしれません。

やってみて、どうしてもイヤだったり、気が向かなかったりしたら、やめてもいいのです。自分の心を無理にねじまげてまでしなくてはならないことなど、世の中にはひとつもありません。

85年生きている、ほかならぬ私自身が実感していることです。

 

10 誰かのためなら「モルモット」にもなるわ

 

「元気なフリ」以外は特別なことをしているわけではない私ですが、

サプリメントや健康食品は、わりと摂っています。

たとえば認知症予防のカプセルや、体にいいという触れ込みの水素水など……。

特に水素水は、愛用するラインストーンつきのピンクの水筒に入れて、毎日持ち歩いています。

この水筒、 1964年に行われたニューヨーク世界博覧会でコンパニオン仲間としてご一緒して以来、 60年近いお付き合いのお友達が手作りしてくれたんですよ。思いのこもった水筒で飲むお水は、普通のお水より美味しい気がします。

ただし、実際に「体にいいこと」があるかどうかは……正直、よくわからないんですよね(笑)。

というのも、認知症予防の力。フセルや水素水は、自分の意思で買ったものではありません。

こちらも化粧品同様、さまざまなベンチャー起業家、大学の研究室から「研

究費が足りないから”モルモット“になって」などと頼まれて、いただいているものなんです。

確かに、私が日本初のダイヤル回線を使ったビジネスを思いつき、女ひとり、必死の思いで会社を起こした時代に比べれば、ずいぶんと起業しやすくはなりました。ソフトバンクの孫正義さんや、ディー・エヌ・エーの南場智子さんなど、日本を代表する実業家もたくさん世に羽ばたき、若かりし日の彼らを身近に見てきたひとりとして、凄く嬉しいです。

ただし、ほとんどの若手起業家は、今も経済的に非常に厳しい。

たとえば、今まで世の中になかったようなサ。フリメントひとつ開発するにしても、被験者を募るお金も十分になかったりします。それが、どれだけ大変なことか……。私には、骨身に染みてわかるのです。まるで、かつての自分を見ているようで。泣きたくなるほどきついことも山のようにあったけれど、たくさの方に助けていただいて、ここまでこられました。

受けたご恩は、倍にしてお返ししなくては。だから、志のある若いチャレンジャーは、積極的にバックアップすることに決めています。

時にストレートな苦言を呈したりもしますが、それもすべて愛あればこそ。力もお金もないベンチャーの私が作り上げてきたケモノ道を、そんな可愛いケモノたちー明日の日本を創る素晴らしいケモノたちにたくさん駆け登っていってほしいから。

物心両面で彼らを支えるからには、求められればモルモットでも何でもなります。どんなものでも断りませんし、お金も一切いただきません。まあ、たまには飲むのをサボってしまうこともあるけれど(笑)、できる限り協力しています。もしかしたら、サプリや水素水そのものよりも、「大好きな彼らのために役に立っている」という気持ちこそが、私の元気の源かみなもともしれませんね。

 

第2章

 

11 暗いニュースは見ないが勝ち

 

私たちダイヤル・サービスが「厚生労働省コロナウイルス対応支援窓口」で、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客やクルーに向けた「看護師相談」をLINE・電話で開設したのは、まだコロナ禍が始まって間もなかった 2年前の2月のことでした。

未知のウイルスに対する恐怖だけがひたすら日本を覆う異常事態を前に、社長としてできることはただひとつ。とにかく素早い判断で動くことだけでした。

私たちの相談窓口が、身心ともに過酷な状況に晒された乗客やクルーの方たちにとって、少しでも救いとなったのならば、本当に嬉しいです。

医療の逼迫ひっぱくや感染者に対する差別など、実にさまざまな問題が次々と起こりましたが、私が一番気になったのは、コロナウイルスよりもむしろ、「恐怖心」という名のウイルスにやられて本当に病んでしまう人たちのことでした。

友人のひとりは、自粛生活中、朝から晩までコロナ禍の報道を流し続けるテレビを見て、気付けばうつ状態に陥ってしまいました。

「60歳以上はかかりやすいって?」

「基礎疾患を持っているオレは、コロナにかかったらおしまいだ」

毎日毎日、ニュースから、情報番組から、際限なく流れてくる「ネガティブ情報のシャワー」にすっかり打たれて、いつしか彼はうつから認知症に。さらに体調を激しく崩し、ベッドから起き上がれなくなってしまったのです。

刻々と迫り来る死の影……。

ご家族から、私に会いたがっているから来てほしいと連絡を受け、彼の元に駆けつけました。

 

くずおれそうになりながら座っている彼を見て、私は優しいいたわりの言葉ではなく、思いきり厳しい言葉をぶつけました。

「こんな今こそ、あなたや私は地域社会の人々に寄り添い、助けてあげなくてはならないでしょう。そのあなたがなんで、いくらつらい、苦しいからと言って、勝手に先に死ぬのよ。絶対、私は許さないからね」と。

 

そして彼に、「テレビは見ないこと」、「毎日少しでも外に出て、救いを求めている人や苦しんでいる人に寄り添って『ありがとう』を言ってもらい、夜、それを私に電話で報告すること」、そのふたつを約束してもらったのです。

 

あれから 1年半。

彼は以前よりも明るく元気になりました。

電話口からのはつらつとした声に、今では私がパワーをもらっています。

 

12 メモは心のアンチェイジング

 

3年間愛用している黒いトートバッグは、リユース品です。

社をあげて SDGS(持続可能な開発目標)に取り組んでいることもありますが、とにかく使いやすさが気に入っています。

リサイクルショップで手に入れた時には、確か 3000円ぐらいだったかしら。持ち手が三つ編みで、中にも外にもポケットがたくさんあるんですよ。お財布に名刺入れ、ノート、水筒、化粧ボーチ、スマホ、鍵……。どんどん入ります。

「今野さん、お持ちしましょう」と申し出てくれた男性が、私からバッグを受け取った途端、思わず「お、重い!」と呻くほど(笑)。このバッグを持って早足で歩くだけで、けっこうな運動になるのではないかしら。

外側のポケットには、すぐに。ハッと取り出せるものを入れることにしています。筆頭はなんといってもスマホとスケジュール帳。そして、忘れてはならないのが「メモ帳」です。個人的な予定を書き込むスケジュール帳とは別に持つのが私流なんです。

大きさは手のひらサイズ、色は気分も上がるピンク。ストレスなくスッと取り出せるように、できるだけ滑りのいい表紙のものを選ぶのがポイントです。

たとえば、ちょっとしたビジネスの思いつきでも、忘れないうちにすぐメモ。

あ、いいな、と印象に残った言葉も、すかさずメモ。

ずっと昔にお世話になった方のお名前も、久しぶりに思い出したら、時間を置かずにメモします。もちろん、大切な人たちの誕生日や記念日も忘れずに控えておいて、その日のうちに電話し、バースデーソングを歌います。その歌声、そこでつながる友情と信頼!

 

このように毎日、引っかかった言葉や出来事は「心を素通り」しないように、どんなささやかなことでもすべて書き込みますから、薄めのメモ帳は 1ヶ月ほどですぐに使い切ってしまいます。

1年で 10冊以上は溜まるでしょうか。

もちろん、ただのメモならスマホでも事足りますし、それはそれで便利でしょう。

キーで打ち込むのが面倒ならば、ボイス機能で録音しておけばいいですものね。今どき、「わざわざ」メモに書き込むのは、アナログかもしれません。

でも、やっばり「使っていない」と人間の体は衰えおとろます。手を動かして字を書き込む。目と頭を使う。すると、心も動き出します。ああ、確かにあの時はこうだった。そうそう、こんなアイデアはどうかしらと。しかも、書いた文面を見返すことで、記憶はさらに鮮明に刻まれる。老け込むヒマなんてまったくなし!

まさしく、メモは心のアンチェイジングになるのではないでしょうか。嬉しいことに、シミやシワ取りなどと違って、メモはほとんどお金がかかりません。お得でしょ?

ここでひとつ、アドバイスを。ペンはできるだけ太く、はっきりしたものを選んで、意識的に大きい字で書き込んでみましょう。そのほうが記憶や意識に残りやすいというデータもあるとか。

今日も私の愛用バッグの定位置には、メモ帳がすっぽり収まっています。私の頼れる「仲間」です。

 

13 あめ玉1個だって誰かを笑顔にできる

 

私、「立派な大人の世界」の人たちよりも、なぜか、子供や動物にとってもモテるんです。

まあ、動物のほうは、たまに噛まれたりしますけど(笑)。古くは 24年前、オーストラリアに招待された時、タスマニアンデビルに、ガブリと。また、この間は千鳥ヶ淵を散歩中、どなたかの連れていたペットの猿に噛まれちゃった……‼ きっと、私の愛を試したんだと思います。

それはそれとして、子供にモテるというお話。

特に、ワンワン泣いている子供をあやすのが得意なんです。

そんな時に威力を発揮するのがーはい、コレ!「あめ玉」。

たとえば、むずかるお子さんがいたら、あめ玉をサッと取り出して、「♪ちゃんちゃんちゃんちゃん」って歌いながら目の前で振ってみる。そうすると、嘘のように泣き止んで、ニコニコしながらあめ玉に手を伸ばしてくるんですよ。

あんまり効果てきめんで、面白いほど。

だから、金銀色とりどりののどあめをいくつか用意して、いつもバッグに忍ばせています。メモ帳ともども、私にとってはなくてはならないものなんです。

のどあめについては、毎日、たくさんの方とお会いするので、突然の咳せきに備えて用心のためにも持ち歩いています。

自分のためというよりは、たいてい周囲の方のため、それも偶然同じ会議でご一緒した方々が多いでしょうか。

 

先日も、京都からの帰途につく新幹線のなかで、後ろの席の方が突然、凄まじく咳き込みだしたのです。まだコロナ禍の世の中。周りの乗客が後方の席に向ける刺すような視線が、痛いほど伝わってきました。いても立ってもいられなくなり、すぐにバッグからのどあめを取り出して、差し上げました。

「これ、よろしかったらどうぞ」と。咳をしてらしたのは、 3人掛けの椅子の真ん中の、少々お年を召された女性でした。すると、さすがのどあめ、すぐにパッと咳が止まったんです。

両脇に座っておられた、お嬢さんかお嫁さんか、おふたりの女性から、何度もお礼を言われました。「助かりました、ありがとうございました」と。

静かになった車中は、何事もなかったような空気に戻りました。やがて終点の東京駅に無事に着き、その頃には私もあめ玉の一件は忘れていたんです。

そうしたら降車のタイミングで、私の周りにいた乗客の方々までが、皆さん口ぐちに、「ありがとうございました」とお礼を言って下さるではありませんか。

皆さん、あの咳がきっと不安だったんだな……と改めて思うと同時に、あめ玉 1個が作り出した新幹線の小さなドラマに改めて感動しました。

 

「私なんて、誰のお役にも立てなくて」と嘆いておられる方。そんなことは絶対ありません。周りの人々を思いやる心があれば、あめ玉 1個だって必ず誰かを笑顔にできるのではないでしょうか。

そして、誰かの笑顔は、ほかならぬあなた自身を元気にしてくれることでしょう。

 

14 病院に行かなければ「余命宣告」も受けない?・

 

ここ十数年、美容院と病院には行っていません。

髪は自分で染めるし、いつもアップにしているから、こまめにサロンでカットする必要なし……というか、そんな時間もお金も、今の私にはなくって。

たまの「ご褒美」は、近所の銭湯の泡風呂くらいです。

病院に至っては、もうどのぐらい、ご無沙汰でしょうか。

でも、まったく困っていないんです。

むしろ、病院に行かないことで、どうにか人生の荒波を乗り越えてきたような気もしております。

 

若い頃から、相当な無茶を重ねてきました。

やっとの思いで奨学金を得て故郷の三重・桑名から上京し、津田塾大学に入りましたが、就職試験では女性であることを理由にマスコミ・商社など全敗。それなら自分でと起業目指して奮起するも、女ひとり食べていくだけでも精一杯。やれる仕事はいくつも掛け持ち、すべてやりました。新聞社の校正、有

名作家の方々の取材の手伝いや口述筆記、雑誌の映画評論、のリボーター、歌声喫茶の広報、歌手の代行、手のパーツモデルーあまりのハードさに、歌舞伎町の銭湯で行き倒れ、警察のお世話になったこともありました。

もちろん、念願の起業を果たした後は、さらなる過酷な日々が待っていたことは申すまでもありません。ダイヤル・サービスを信じてスボンサーになって下さった多くの企業との契約上、「社長のスキャンダルと病気」は御法度。

病気にならなかった、というより、「なれなかった」のです。

きっと今も、病院に行けば、いくつか、何らかの「病気」は発見されることでしょう。

だけど、私は毎日、当たり前の日常を生きられている。貴重な時間とお金を払ってまで、わざわざ「病名」をつけてもらう必要を個人的には感じないし、「診断」を受けていないから、おかげで余命宣告もされ

 

誰かが定めた「いのちのスケジュール」も、それはそれで大事な場面はあるかもしれません。

 

残された日々を、その人なりの生き方で、生き抜くのも大切なことでしょう

だけど、私の経験では「いのちのスケジュール」は変わってしまうことだってあるということです。

何を隠そう、かつて超悪性末期がんで余命1ヶ月ないし 2ヶ月との宣告を何度も受けた私が言うのですから、間違いありません。

「余命宣告」。かつて何度も受け、生き抜いたわが人生の「生命」勲章。

そのことについては、改めて次の⑮話で詳しくお話しいたしましょうね。

 

15 検査の数字は「結果」でなく「個性」

 

「かつて末期がんで余命宣告を何度も受けた」ー。

いきなり衝撃告白をしてごめんなさい。

でもこれ、本当の話なんです。

50代の頃に健診を受けた私は、ある高名なお医者様から深刻な事態を告げられました。

「あなたは超悪性のがん、それも末期です」と。しかも、余命は 1ヶ月ないし 2ヶ月というではありませんか。言葉がありませんでした。涙も出ませんでした。

 

ただ、私には、そんな「いのちのスケジュール」など、到底受け入れることはできませんでした。前項でもお伝えした通り、私にもしものことがあったら、ダイヤル・サービスを支えて下さっているスポンサー企業は一斉に手を引きます。

「赤ちゃん 110番」など、私たちを頼りにしてくれる利用者の方々はどうなる?

我が子同然の会社は?

社員たちの生活はどうするというのかー

たのです。

当時の私はすでに、「死んでいるヒマなんかない人生」を始めてしまっていたのです。

この残酷な宣告から目を背け、逃げようとする私に、偉い先生は容赦なく言い放ちました。「あなた、この画像にはっきり写っている影が見えないんですか? このデータの意味がわからないんですか⁉」

にもかかわらず、私は一切の入院・治療を拒否。「末期のがん?それがどうした」と腹をくくり、誰にも病名を告げずに仕事を続行する決意をしたのです。

でも、 1ヶ月たっても、 2ヶ月たっても、私は生きていました

その後も、何度も末期がんの診断を受け、そのたびにお医者様からは厳しくお叱りを受けましたが、余命 2ヶ月が 1年になり、 1年が 2年になりー|今年の6月で 86歳を迎えます。

高名なお医者様方の下された「いのちのスケジュール」よりも、治療も薬も受けずに 30年近く生き延びているこの事実を、どう考え、どう伝え、どう活かせばよいのか。

それこそが、私に与えられ、求められている使命だと思います。

 

実は、これまでひとりだけ、他のお医者様とはまったく違うことをおっしゃった先生がおられました。

その方は、もともと私のことをよくご存じの方でした。いわく、「確かに、あなたの検査結果の数値は、

平均的に見れば極めて悪性かもしれない。でもね、今野さん

あなたはそもそも”平均的な人ですか?」と。

ハッとしました。

考えるまでもなく、私は昔から、これまで誰もやったことのない、前例のな

い事業をさまざま立ち上げてきて、その都度、政財界や官公庁から「奇人変

人」扱いされてきた人間でしたから

 

先生は続けました。

「医者がデータを取って、余命 1ヶ月だの末期がんだの言っているのは、あくまでも

 

あなたのお年だったら、この数字はこうあるべき

という平均的なもの。

今野さんは、この国の、あなたの年齢のなかでは平均的な人ですか?違うでしょう?なんであなたのような人が、平均の数字にこだわるんですか?・

平均的な人の平常値はこうあるべきという数字に、どうして、ご自分から当て

はまろうとするんですか?」

そして、こう言って、私に笑いかけたのです。

「あなたのデータのこの数字こそ、あなたの個性です」

 

 

先生は、「医学の方程式」にこだわらず、「人」そのものを診ておられたのでしょう。ああ、こんなふうに、ひとりひとりの個性に合わせた考え方、アドバイスをするお医者様も日本におられるのだ、と心底驚きましたね。

もちろん、「医師から受ける余命宣告には意味がない」とまで申し上げるつもりはまったくありません。告知されることで、残りの人生をより充実させられると考える方は、聞いてみるのもよいかと思います。ただ、人は、よくも悪くも変わっていく生き物です。今、最悪の検査結果が出たとしても、医学的なデータ通りに症状が進んでいくとは限らないのではないでしょうか。検査結果の数値も、データも、あくまでも平均値から割り出したもの。

 

むしろ、余命宣告を受けたことで「あと 1ヶ月しか生きられないのか……」

と、無意識にいのちのタイマーを起動させてしまうことのほうが、私には恐ろ

しい。

 

ひとつしかない大事ないのちを、なんでこんな数字ごときに支配されなくて

はいけないのか⁉ と今も本気で思っています。

検査の数字は「結果」でなく「個性」。知らなくてもいいことは、知らないままでいい。医師は、どうしても知らせたいのなら、あらゆる可能性を認めない「神の宣告」

ではなく、さまざまな可能性を秘めた変化の途上の「今」をとらえて、活

かしていただきたいそして、そこからの可能性を共に考え、明るい結果に導く愛こそが、医や薬の世界の役割ではないのか、と問いたい。知恵も技術もない断言、宣告は、ある種の殺人にも似た行為ではないかと、

個人的には思います。

宣告されて突き放されれば、そこから死期に向けてタイマーのスイッチを入れられ、自分の意識、意志に忠実に生きる力を閉じることになるからです。

医療、治療を受けるのなら、何もかも言いなりになって受け入れるのではなく、自分の強い生きる力、意志、自信を持って、パワーのバランスを考えましょうね。

 

 

 

16「薬漬け」より歌って踊ってハッピーに

 

若い起業家を応援するためなら、彼らが精魂込めて開発したサプリや健康食品を摂り、進んで「モルモット」になっている私です。

でも、いわゆる処方薬のたぐいは、一切飲んでいません。病院に行かないのですから、当然と言えば当然ですよね。これからもきっと、よほどのことがない限り、飲まないでしょう。

晩年、母は山のような薬をお医者様から処方されて、おとなしく飲んでいました。その量たるや、とにかく凄まじいの一言。色とりどりの錠剤が何種類も、山のように出されていて、呆気にとられたものです。これはいったい、何年分?何のためのお薬なのかしらと。

「薬漬け」にされている母の姿を見るに忍びなく、桑名に帰省するたびに、こっそり処分したこともありました。私には、母がこのおびただしい薬を飲んで、元気を取り戻しているようには、どうしても見えなかったのです。

医療は本来、患者のためにあるべきものです。なのに、近頃は「人」そのものではなく、データや効率ばかりに目が向いているように感じます。

個人よりも病院、国の都合。コロナ禍でも、感染拡大で「自宅療養」という名の放置がまかり通ったことは記憶に新しいですよね。緊急事態だったとはいえ、「見捨てられた」と絶望した感染者も多かったのではないでしょうか。

もしかしたら、苦しい副作用を伴う標準治療よりも、代替医療を望む患者さんもいるかもしれません。もちろん、エビデンスを伴ったものであることは必要不可欠ですが、医療の世界でも、患者ファーストの多様性はもっと認められていいと思います。

特に、心のありようは免疫系統にも影響するもの。「本当に望むのは、どんな治療なのか」、患者はもっともっと自分本位に考えていいと思います。

 

我慢を強いられることもある最先端の治療よりも、住み慣れた我が家でリラックスしたり、好きな趣味に打ち込んだりするほうが、その人にとっては身心ともにメリットがあることも、ないとは言い切れないのではないでしょうか。

私は子供の頃から歌ったり踊ったりするのが大好きでした。

どんなに疲れていても、音楽が鳴り出せばメロディーを口ずさんだり、軽やかにステップを踏んだりー病院や薬に頼らなくても、大好きな友人たちと会ったり、人それぞれの楽しい時間を持つことで、自然とハッピー!心も体も

上向きます。自分自身のご機嫌の取り方を知っていることは、病を寄せ付けないための大きな武器と言えるでしょう。気持ちを引き立て、日常的に自己免疫力を高める習慣を持つのは、健康長寿に一生役立つことだと思います。「ご機嫌よう!」、いい言葉ですね。

 

 

うつを撃退するには

「誰かのために動くこと」

 

この 2年の間、⑪話でお話ししたようなコロナうつに”感染“した方は、私の友人に限らず、とても多かったと思います。目に見えないウイルスの恐怖、会いたい人に会えないつらさ、マスクの息苦しさ、経済的な不安、「自粛警察」が幅をきかせるギスギスした世の空気ー

確かに、私たちは経験したことのないような激しいストレスに晒されました。そして、これからも形を変えて、このストレスは再び襲ってこないとも限りません。そんな時のために、二度とうつ状態を寄せつけず、笑顔でタフに乗り越えていくための私なりの秘策をお伝えしたいと思います。

先ほどのコロナうつの友人に、私はふたつ約束してもらいました。ひとつ目は、”朝起きたらすぐにテレビのスイッチオン“という習慣を断ち切ること。⑪話で触れた「暗いニュースは見ないが勝ち」を実践してもらい、まずはネガティブ情報のシャワーを遮断してもらったのですふたつ目は、ほんの少しの時間でもいいから外に出て、「誰かのために」何でもいいからやってみること。

あなたと親しい地域の人々だって、今、困っていたり苦しんでいる人、

はいっぱいいるはず。そっと寄り添って、さりげなく優しい言葉をかけてみたら?何もない日は近くの公園で、たったひとつでもゴミを拾うもよし。保護犬・保護猫のために、ささやかな寄付をするもよし。当時、ベッドで生気のない視線をさまよわせていた彼に、私はこう言って激励したのです。

「あなた自身を暗く不安にさせ、うつにさせたテレビ漬けの時間を、今からすぐに、自分以外の誰かのために使うのよ。そうすれば、あなたは死んでるヒマなんかなくなるはずよ!」

瞬間、弱々しかった彼の目が見開かれました。

これから夜 9時までに帰宅できる日は、必ずあなたに電話するから。

今日、誰に何をしたのか、教えてね」

そのうち、私からの夜の電話も、ワンコールかツーコールぐらいで出るようになり、「今日は 〇〇をした」「こんなこともできた」と楽しげに報告してくれるようになりました。

気付けば彼はすっかり回復。いえ、回復なんてもんじゃなく、前よりもずっと明るく元気になったのです。本当によかった!

誰かのためにお役に立てると、シンプルに嬉しい。嬉しい気持ちを取り戻すことは、うつを遠ざける大きな一歩だと思います。さらに、誰かと話すことで、その嬉しさを共に分かち合えれば、もっと生き

る力を取り戻せるはず。今はメールやなど画面上のやりとりも増えているけれど、やはり電

じか

話でお互いの声を直に感じながら話すのも、いいものですよね’

 

 

 

「貯金ゼロ」「財産ゼロでも、不安もゼロ‼

 

今、私の貯金通帳の残高は、正真正銘ゼロ。

それどころか、たまにマイナスです(笑)

「ありえない」と言われます。そう、我が社は社会からたくさんの「感謝」を頂戴しながら、53年間順当にに成長させていただいておりますから

なのにどうして?私には、

いくつかの顔があります。

ひとつはもちろん、私が人生を賭けて創り上げてきたダイヤル・サービスの

社長としての顔そして、その関連で、後に続く若い起業家たちを応援し、「ベンチャーの母」と言われる顔゜また、その延長で、中国、韓国を始めさまざまな国の若者を支援した縁で、各国に自慢の凄い息子や娘たちがいる「国境なきお母さん」としての顔

一番古いところだと、 40年以上前からネパールで多くの学校を創って子供たちの教育に取り組み、若者を育ててきました。本気で応援したい、助けたいと思って、すべて自分で決めたことです。ですから、その結果、ゼロが並んだ預金通帳を見ても、不安や後悔のカケラ

もありません。だって、これで終わると思っていませんもの。お金がないのは、あくまでも途中経過。結末ではありません。

今、ネパールにもミャンマーにも、日本語が話せて、いつか日本を目指すであろう素晴らしい若者たちがどんどん育っています。お金なんかでは買えない財産__国を超えた素晴らしい人たちとの出会い、生涯の友、友愛。どこにもない、かけがえのない財産がたくさんできました。

みけん

だから、預金通帳を見ても、眉間のシワが増えて暗い顔になることもない。貯金はゼロですが、不安もゼロです。そういえば昨年、『老後の資金がありません!』という映画がヒットしたそうですね。私、老後の資金をどうするかなんて、一度も考えたことがないんです。だって、私にとって、まだ「老後」は存在しませんから。

確かに、「夫婦ふたりで老後は 2000万円必要」なんて話も聞きますが、人によって、お金の意味や役割、作り方、使い方は全然違うと思います。

これからまた、新たに私が挑戦するテーマはいくつもあります。①健康長寿な国・日本をどう創るか②脱炭素社会における民間の役割などなどいっばい。その時はぜひ、読者の皆さんもお力を貸して下さいね。

 

 

19 手放すと素敵なものが来てくれる

 

貯金ゼロ、財産ゼロの私゜もしかしたら、ウチの社員のほうがお金持ちかもしれません(笑)。でも、それほどお金に困っているようには見えないのだとしたらー。それはきっと、モノを買わなくても、あるいは買えなくても、どういうわけかいろんな方々から、いろんな形でいただくことが多いからだと思います。手放せば手放すほど、意外な方面から、別の素敵なものが私のところに来てくれる。本当に不思議です。

たとえば先日、ある女性とご一緒する機会があって。「今野さん、そのパールのネックレス、綺麗ですね!」と褒めていただいたから、その場で首から外してプレゼントしたんです。さすがに本物ではありませんが、大粒で綺麗で、何よりも軽いのが気に入っていたものでした。

気楽に差し上げたものを、気楽につけていただいて喜んで下さるのなら、

んなに嬉しいことはありませんよね。今日も、家から会社にハンドバッグをいくつか持ってきました一種の社内チャリティーというか、即席の売り場に募金箱を置いて、「気に入ったものがあったらどうぞ。で、500円でも1000円でもこれくらいならいいかなと思ったら、この箱に入れて。お気持ちだけでいいですからね」って。そして、たまにはわが家で、女性経営者の方々と不要品交換会とかも。こうしたチャリティーは 40年来続けており、集まったお金はネパールに学校

を創るために寄付してきました。そういえばこの間も、広報室長にハズキルーペをあげましたね。小さい字が見にくくなったって言っていたから、その場でハイ、

他にもスカーフ、アクセサリー、お気に入りのバッグや靴などなど、ずいぶん社員や友人たちにあげてしまいました。

でも、それと同じくらいか、それ以上に、実に多くのものがどこからかやって来ます。

ある日、北海道のベンチャーの息子たちから、ぷりっぷりの新鮮なホタテや青ツブ貝がどっさり届いたと思ったら、別の日には長野の息子から、見たこともないような巨大マッタケが到来。

こんな御馳走、ひとりでは食べきれないから、お世話になっている方やお友達をご招待して振る舞うと、また見事なお花のアレンジメントや美味しいワインが手土産でどっさりと。モノに縛られず、本当に役立ちそうな方のために手放すことで、結果的にもっと素敵なものに巡り合っている。そんな気がします。

ふと、母のことを思い出しました。

みんなが厳しい飢えに苦しんでいた戦時中、母は父の大切なコレクションの

カメラをお芋などの食糧に換え、その多くを父親が戦死し、子供たちを抱えて困っている町内のご家庭に配っていました。

当時は本物の飢餓の時代。私がこんなにお腹を空かしているのに、お米やお芋をよその家にあげるなんてと、ずいぶん母に反抗したものです。

戦後、駅前で素敵な3人の若者たちから声をかけられ、涙声で感謝されました。

「あなたのお母さんのおかげで、僕たち一家は命拾いしました。本当に心から感謝してます」と

私は自分を深く恥じました

今の私は、母に似ています他人に寄り添い、手を差し伸べる仕事をしていること。そこはよく似ていま

す。

 

でも、母は自分の食べ物すらない時代の人でした。私のように飽食の時代にやるのとでは、同じことをするにしても、その意味も価値もまったく違うと思っています。

「与える人」だった母。母の子供として、あの尊い後ろ姿を見ることができて、本当によかったです。

そんなあなたに反抗して、ゴメンナサイ。

その分、これからまた、あなたから教わった私の使命を果たすべくがんばります。

どうか天国から見ていて下さいね。

 

愛する理由に「本物」も「偽物」もなし

 

どんなに忙しい時も、装いのアクセントとなるネックレスや指輪、ブローチ

を忘れたことはありません。ブランド品や高価なものとは縁がないけれど、アクセサリーは大好きです。特に、ネックレスやペンダントはたくさん持っています。貧しいながらも、

なんとか経済的な自立を果たした 20代の頃から 80代の今までの 60年間に、自然と集まりました。

しまいこむと、どこに何があるのかわからなくなってしまいそう。だから私は、自室の壁に長めのピンをいくつも剌し、そこに 1本ずつかけて、「見せる収納」にしています。

時間がない朝でも、その日の装いに合わせてすぐに選べるし、賑やかな壁を眺めているだけでもキラキラして楽しいです。

最も数が多いのは、パールのアクセサリーでしょうか。三重人の私にとって、真珠は特別なもの。ミキモト発祥の地である鳥羽は、

母方の祖母の出身地でもあります。大ぶりなチョーカータイプから繊細なロングネックレスまで、長さも種類もいろいろ。いわゆるパールホワイトだけでなく、ブラック、イエロー、ビンク

ちょうほう

と色味も豊富で、どんな装いも品よくまとめてくれる。とっても重宝しています。

なかでも、今回のカバー撮影で身に着けた二連のネックレスは、一番のお気

えり

に入りです。ワンピースの襟ぐりのラインと相性もよく、顔周りをパッと華やがせてくれますから。取材や講演の時の写真でも、このネックレスの登場回数は相当多いのではな

いでしょうか。私の「勝負パール」と言ってもいいかもしれません。でもこれ、……実はイミテーション(笑)。

4000円か 5000円ぐらいの、立派な「偽物」なんです。

 

確かに、本物か偽物かも、大事かもしれません。

アコヤ貝に偶然入り込んだ異物を核に、奇跡のような自然の営みを経て生み出される天然真珠。

伝統の技と英智を結集し、気が遠くなるほどの手間暇をかけて世に誕生する、養殖真珠その成り立ちを知り、「本物」を知ることは、間違いなく人生を豊かにする

ことでしょう。なんといっても、真珠は日本が世界に誇る第一級の特産品ですから。ただ、だからと言って、高価な本物だけが美しいとは限らない。偽物でも、綺麗なものはたくさんあります。肝心なのは、身に着けた時、自分の気持ちがいかに浮き立つか、引き締まる

か、ではないでしょうか。

最近は、出張の時など、本物と偽物のパールを使い分けています。

新幹線や飛行機での移動中は、イミテー .ションの軽いネックレスを

現地に到着したら、重みのある本物のパールにチェンジ。気合を入れ直して、商談や講演に出向くようにしています。こうすれば、パッとお仕事モードに気持ちも切り替えられるし、肩も凝りません。いいこと尽くめです。

愛する理由に、本物も偽物もありません。アクセサリーに限らず、心から好きなものを、自分のために身に着けた時のあなたの輝きこそが「本物」ではないかと、私は思います。

実は、私と真珠との出会いは、なんと 80 -年ほど前。祖母の大切にしている小

桐の箱を開けた時でした。紫の猷紗に包まれた”虫歯のようなもの“を見つけたのです。後でわかったことですが、それは祖母と同郷である鳥羽の御木本幸吉みきもとこうきちが真珠の養殖を始めた頃の、まさに試作品(失敗作?)だったのです。

後年、私が三重県の「みえの国観光大使」としてミキモトの社長とお会いした時、「ぜひ譲って下さい。せめて見るだけでも」と言われましたが、もちろん、戦災で焼失しておりました。

世界に数ある宝石・貴石のなかで、私が特に好き嫌いを超えた想いを真珠に抱いているのは、そうした 1世紀前の我が故郷の、まさに一大企業家・御木本幸吉と、祖母と、試作品の 1個の真珠の知られざるドラマに魅かれるからかもしれません。

 

「誰かの評価」より「自分の納得」

起業した 1969年から 2022年の今まで、戦いの連続でした。法規制との戦い、資金繰りとの戦いー仲間だと信じていた人に、思わぬところから矢を射られたこともあります。でも、最もハードだったのは、男社会との戦いでした。

前例のないニューサービス「赤ちゃん 110番」に利用者が殺到し、ダイヤル回線をパンクさせたことで、国や関係省庁を激怒させた私でしたが、同時に注目も集まりました。

時は 1970年代初め、今から 50年以上も前のことです。

その経緯は⑭話でも触れていますが、その後、まだ 30代だった私は、国の審議会に呼ばれるようになりました。女性経営者が審議会委員になるのは、もちろん初めて。

どこの審議会でも、私以外、皆さん錘々たる顔ぶれでしたねメディアでよく拝見する政治家、学者、評論家|―生縁などないと思っていた超一流の方々のなかに、ポンと放り込まれてしまって。

もっともそれは、「今野由梨の力量を見込んで」などというまっとうな理由からではなく、あとあと、「女が 1匹も入っていなかったのか」と言われないために、証拠づくりとして入れられたのです。

現に、担当官僚からどんなふうに言われたと思います?・

「あなたは発言されなくて結構」ですよ!

だから、最初は会議でも、おとなしく懇っていました。

当時は今以上に、男女平等など絵に描いた餅でしたね。

でも、だんだん我慢できなくなって。

学者さんや政治家の先生が話している内容と、私が「赤ちゃん 110番」などのご相談者から生で聞いている悲痛な叫び声とは、あまりにギャップがあったのです。

「あの……、今のお話、現実社会、生活者実感とはずいぶん違うように思いま

すが……!」気付いた時には、会議で口を開いていました。あれほどダメと言われていたのに。私付きの担当官僚の方は、ずいぶん上司から怒られたようです。後日、

重ねて「発言無用」と釘を刺されましたが、もはや止まりませんでした。だって、おかしいものは、おかしい。違うことは違う!

偉い人の言うことをおとなしく聞いて褒められる「壁の花」に私がなることに、いったい何の意味があるというのでしょう。毎日毎日、私たちの電話にかかってくる人々の心の叫び、苦しい現実……それを聞いていながら知らん顔して、偉い人たちの意向に沿うようにただ黙って

いるなど、私には到底できませんでした。たとえ疎まれようとも。もちろんクビにされようとも。

今も、国の顔色を見て発言するようなことは、一切ありません。

空気は読むものではなく、生きるために吸って吐くものです。大事なのは、誰かの評価より、自分の納得。「誰が何と言おうと、これでいいんだ」と心から思えれば、どんな結果になっても、きっと後悔はないはず。何より、未来の自分に言い訳しなくてすみますから。

幸せは、意外とすぐそこに

 

人は変化する生き物

 

子供の頃は、なんだか頭が妙に大きい、完全なる5頭身美人(笑)でした。とにかく頭が重くって、ヨチョチ歩きのペンギンみたいな女の子。t運動なんて、まるでダメ。かけっこ、水泳、みーんな苦手。同級生に比べる

と、体もそれほど大きくありませんでした。忘れられない思い出。それは中学2年の春、初めて行われた全校生徒の身体

検査でのことです。みんな半裸になって、身長・体重を計りました。戦争で「焼け出され」て、町の学校から農村部の学校に行った私は、発育の

よい同級生たちのふっくらきれいな白い体と、ゴボウのような黒い体の私との

違いにショックを受けました。母に話すと、「心配せんでええ、そのうち変わるから」と。なるほど、それを起点に、それぞれが変わって、それぞれの自分になりまし

こ。

あの頃は、妹たちがいじめられると、相手がガキ大将だろうがなんだろうが、しゃにむに飛びかかっていったものです。

腕力ではかなわないから、ガブリと噛みつく、爪で引っかく。「ユリはユリでも鬼ユリ山ユリ、鉄砲ユリ(でも本当は白ユリ姫ユリ、弥勒ユリでいたかった)」今野由梨の面

目躍如でしょ(笑)そう、根っこは 85年間、何ひとつ変わっていないのです。今でも、大人になったかつての悪ガキたちと帰郷して再会するたびに、

「これ、お前が引っかいた傷痕。お前に噛みつかれた痕」

と、嬉しそうに見せられます。

実際にはそんな昔の傷痕など、とうに消えて残っていないのに。けれども、そんな幼い頃の幻の傷痕こそ、いくつになってもかけがえのない大切な絆。今の子たちには、もうそんな絆をつくることすら禁じられているの

が痛ましいです。

 

少々話が逸れてしまいました。お許しを。

自他ともに認める「鬼ユリ山ユリ、鉄砲ュリ」である私自身の根っこは変わらずとも、努力や環境変化、巡り合わせで、幼少時代から大きく変貌を遂げたこともたくさんあります。

たとえば、持て余すほど頭が重く、もたもたヨチョチ歩いていた私が、今やハイヒールで、どんな登り坂も猛スピードで歩くようになりました。息子の譲司から、

「ママ!ちょっと待ってよ……もう一緒に歩きたくない」と泣きが入ることも珍しくありません。別に彼を困らせるつもりはないのですが、人に合わせてゆっくり歩かされる

と、なぜかかえって疲れるのです。ただそれだけです。ハイヒールでズンズン歩くようになったのは、とにかく会社経営が大変で、のんびり歩いていられる身分ではなかったから。誰よりも早く目的地に着いて、あれこれドタバタ仕事しなければならなかったんです。そんな環境や運命に身を置いていくうちに、自然と歩くのが速くなったんでしょうね。

運動だってあんなに苦手だったのに、「会社を経営するからには」と皆さんにお誘いいただいて、負けん気でついてゆくうちに、気付けば山登りにスキー、スキューバダイビング、ゴルフありとあらゆるスポーツに挑戦するようになりました。

そしてなんと、今や私は、ゴルフで1日8 5ラウンドのギネスブックの記録保持者です。幼少期を知る人が聞いたら、絶対に誰も信じないでしょうね(笑)。

確かに、生まれついての根っこの部分を変えることは、なかなか難しいです。「なりたい自分」に変わっていくのは、もっと難しい。だけど、意識せずとも「変わってしまう」ことも多々あるのが、また人間な

 

んです。刻々と変わる世の風や、人との得がたい関わりのなかで、自分でも「あれ?」と思うほど変化を遂げていく。このプロセスに抗あらがわず、むしろ「ギフト」として丸ごと受け入れるのも、また楽しいこと。そのぐらいに考えていたほうが、ずっと自由でのびやかに生きられるのではないでしょうか。

時代も人も、生き物です。「昔はこうだったから」、ずっと変わらないとは限りません。今なら私、昔イジメられた 85歳の男の子たちに、たいていのことは勝てると思います。これも、イジメでしょうか(笑)。

 

「衰える」のではなく「質」が変わる

 

生きていれば、望もうが望むまいが、変化を余儀なくされます。

この世に生を受け、ただただ泣くばかりだった赤ちゃんがハイハイを覚え、

いつしかつかまり立ちし、やがて 2本の足で力強く歩き始める。年を重ねて歩くのがつらくなってきたら、杖をつく。つえどれも、ごく自然な「変化」です。なのに、私たちは、ある時は「成長したわね」と喜んだり、またある時は

「もうダメだ。トシだ」とガックリ落ち込んでみたり……。毎日、悲喜こもごも、一喜一憂その間にも、容赦なく時間だけが過ぎていくんですよね。でも、よくよく考えてみれば、「成長」も「老化」も、ただの途中経過。生ある限り続くダイナミックないのちの営みのなかでは、ささやかな変化の

一コマに過ぎません。だから、この世の終わりのように「老化」や「劣化」を嘆く必要は全然ない、と私は思います。

むしろ、そんなマイナスのレッテルを貼って自分をはめこんでしまうと、生きるのがどんどんつらくなってくるのではないでしょうか。たとえば、こんなふうに考えてみたらどうでしょう?「衰えている」のではなく、「質」が変わっているのだと。以前はなかったシワを発見したとしても、「あ~あ、やんなっちゃう」と嘆くより、「また私、生き物として”更新“されたわ"こって面白がったほうが、楽しいですよね。眉間にシワを寄せて嘆くより、アハハ、しょうがないわねと笑い飛ばしたほうが、周りの人たちにも安心と明るさを与えるのではないでしょうか。

いのちって、本当に不思議です。私自身が一番変化したのは、「末期がんで余命数ヶ月」と何度も診断さ

れたのに、お医者様の宣告通りに一度も死ななかったことかもしれません。お医者様のデータは、”医学としては100%間違っていなかった。でも、言われる通りに手術をしたこともなく、抗がん剤も飲まず、入院すらせずに、なぜか私は今もピンピンしています。「なぜ?」「何をしたの?」とお医者様が聞いてこられます。きっと私自身が、何らかの変化をしたのでしょう。いったいそれは、何でしょうか。

まだ現代の医学や科学では解明されていない、この「いのちの力」を解き明

かすことこそが、「生きる」ということなのではないかと思います。なぜ私はこの時代、この国に、こんな形で生かされているのか。この先私は、どんな私になっていくのか。これからも、自分の変化を面白がりながら、与えられた使命に沿って、存分

に我が「いのち」を生き切っていくつもりです。

 

鈍感バンザイ!

 

 

運・鈍・根

俗に、「人生に成功するための 3条件」と呼ばれているものだそうですね。

「運」は、文字通り、運に恵まれること。

「鈍」は鈍感なこと。

「根」は根気。

山あり谷ありどころか、絶壁ありドン底ありの 85年の人生を振り返るに、どうにかここまで生きてこられたのは、運に助けられ、どんな時にも決して諦めず、自分を信じて難局にぶつかっていったからだと思います。

ニューヨーク世界博では、あの晩、故郷桑名を爆撃し、私を「殺した」元空

軍士官と遡遁を果たすという奇跡の運に恵まれました。「よく生きていてくれた!よくアメリカに来てくれた!」と泣きながら喜ぶ車椅子くるまいすの彼と、しっかり抱き合った思い出は一生忘れられません。

「はじめに」でも触れた、少女の頃に焼け野原で固く心に誓ったこと!「い

いつか私たちをこんな目に遭わせたアメリカに行って、絶対に『お願い、もう二

度と戦争はしないで!』って訴えるんだ!」という決意が、まさに叶えられたのです。

また、かつては非常識とされた、ダイヤル回線を使った課金サービスを電電公社(現・に提案し続けた時も、「押しても駄目なら、さらに押す」とばかりに決して諦めませんでした。

ようやく実現できたのは、提案から 20年後のこと。ネバーギブアップ!やると決めたら何があってもやり抜く意志と根性は誰にも負けません。ただ、この 3条件のなかで、一番突出しているのは「鈍」でしょう。私、イジメ甲斐のない女なんです。初めからやめたほうがいいですよ(笑)。

1971年、日本で初めての電話相談サービス「赤ちゃん 110番」を開設した時は、育児に悩む全国のお母さんから相談が殺到。ついに電話回線がパンクしてしまったんです。やった!私たちの仕事は、こんなにたくさんのお母さんたちから頼りにされているんだわ‼ などと喜びを味わうヒマもなく、電電公社を始め関係省庁

から即座に呼び出しを食らい、連日連夜、凄まじいカミナリを落とされました。

「お前かーツー!

お国の大事な電話回線をパンクさせたヤツは

こちらの話に

一切耳を貸さず、朝から晩まで罵倒され、

イジメ抜かれる日々でも決して泣きませんでした。

いえ、泣かないどころか、

ふんぞり返ってののしり続ける

”偉い人の前で、 こともあろうに「ぷぷっ」と吹き出してしまったんです!

 

だって、地位も権力もお金も私よりある男たちが束になって何もない女をとりを潰しにかかるんですよ。滑稽ですよね。喜劇の主人公になったみたいで、思わず吹き出しちゃいました(笑)。偉い人は、さすがにギョッとしてましたね。「お前、おかしいんじゃないか

ここは泣いて逃げ出す場面だろう」って。でも、おこたえするつもりも毛頭もうとうありません

I

私はあいにく、そんな男性の期待におこたえできるような女ではない。ユリはユリでも鬼ユリ山ユリ、鉄。砲ユリの今野由梨ですもの(笑)。

たったひとりで荒れ地に咲こうとしているユリ、若い女起業家を、よってたかって足蹴にするようなヤツを、絶対に喜ばせてなんかあげない。ここで負けて引き下がってなるもんか。私がつくるケモノ道を、後からついてくる可愛いケモノたちのためにも、絶対に私は負けない!

だから、私は笑いました。怒鳴られても、嘲られても、ぷぷっと笑いました。そんな私に根負けしたのか、やがて、ひとり、またひとりと理解してくれる方も増えていったのです。

もともと生まれついて持ち合わせていた鈍感力が、イジメ抜かれたことで、また大きく花開いたのかもしれません。

必死に新ビジネスを考え、生み出し、事業を大きくしていくなかで、さまざまな人と関わりました。

単なる仕事関係を超え、親身になって助けて下さった方もいれば、ようやく

 

地獄から助け出されて生き返ったのに、その私から根こそぎ奪い尽くすようにして去っていった人もいました。詳細は控えますが、理不尽な裁判を仕掛けられたこともあります。一時は心

から信頼し、応援していた人に裏切られるのは、やはり堪えますよね。夜も眠れないぐらい悔しい、こんな時こそ鈍感力の出番。そんな人非人のことなんか、考えてやる時間がもったいない!そう思うことにしています。

どちらかと言えば、女性のほうがしぶといと思います。

男性は、イジメられるとしょげて、心がポキッといく人が多いですよね。

あんまりしょげてる男性には、背中をバシーン"~と叩いて気合を注入します。過去にはアントニオ猪木さんみたいに往復ビンタをお見舞いしたことも。その噂が広まって、なぜか私のビンタを熱望する男性が増えましたけど(笑)。偉い人ほど、誰かに叱られたいのかも。孤独なんでしょうね。

 

逃れられないことはゲームと思ってクリアする

 

 

余命宣告をひっくり返した私にも、どうしても治らない病気があります。それは、⑧話でもお話しした、「 25日病」。社長でいる限り、ずっとお付き合い必至の病でしょう。そんなプレッシャーまみれのお付き合いなど、ご免なんですけどね(笑)。今でこそ、その症状は軽くなりましたが、かつては本当に大変でした。社員にお給料を払うのが、毎月 25日。その 1週間前から、「25日病」の症状は始まります。今月はどうやって乗り切ろうか。どこから、どうやってお金をかき集めてきたらいいんだろう。朝から晩まで、常に頭のなかはそんな算段がグルグル回り、行き止まっては、

また堂々巡り。苦しかったです。

でも、「その日」は1秒の狂いもなくやってきます。

もうこの逃げ場のない状況を受け入れるしかありません。

いつまでもウジウジメソメソしていたら、本当に体を壊してしまう。私が倒れたら、会社も倒れる。スポンサーだって、社長が暗い顔をしている企業など、応援したくないでしょ?「あんな暗いところと関わるのは、やめておこうかな」と思われたら、それこそ一巻の終わりです。だから、とにかく腹をくくって、こう自分に言い聞かせていました。「これは今月25日病をどうやって乗り越えてやろうかな “というゲームよ。絶対クリアしてみせるわ!」と。

まだ 30代そこそこで、何にも知らなかった当時も、お声がかかれば国の審議会にどんどん入りました。「お金になるなら、何でもやります!」って(笑)。逃れられないタフな状況でも、ゲームだと思えば笑顔が戻る。すると、不思議と応援してくれる方が出てきたりするんですよね。必ずその日、その瞬間までには、どうにかお給料を払うことができたのです。やっばり暗く沈んでいては、どこからも応援してもらえないんだなあ……と、しみじみ思います。

ウジウジメソメソしていても、ゲームだと思って笑顔で乗り越えようとしても、結果は同じかもしれません。だったら私は、笑っていたい。どんな厳しい状況も笑顔で受け入れ、決して逃げない私のことを、きっと誰かが見ていてくれると信じているから。かつてお国や関係省庁で罵倒されても、ぷぷっと吹き出していた私を、密かに認めてくれた方々がいたように。その方たちのおかげで、今の私があるのです。

 

 

人生は「冷蔵庫探検隊」のごとし

 

実は私、社長以外に、もうひとつ”肩書“があるのです。それは……、「冷蔵庫探検隊」の隊長!お友達ご夫婦と私の 3名のメンバーで我が家の冷蔵庫を”探検“し、未知の味との遭遇を楽しむ活動にいそしんでおります。

週の半分近くは会食の予定が入っているので、残念ながら、ほとんど自宅で夕食をとることはありません。

料理も滅多にしませんが、しようと思えば、速くて上手。やればできる子な

んですよ(笑)。ただし、あまりに忙しくて、買った食材のことをうっかり忘れてしまいがち。そんな週末こそ、冷蔵庫探検隊の出動です。

「由梨さん、このお肉、そろそろ食べちゃわないと」

「あっ!野菜庫の奥にアスパラガスもあったよ。これは茄でてシンプルにマヨネーズかな?」

気の置けない者同士、

ワイワイガヤガヤ、冷蔵庫も奥の隅々まで遠慮なくゴ

ソゴソ隊長の私よりも隊員ふたりのほうが、がぜん探検に燃えています

なるべく古いもの、早く食べたほうがよさそうなものを”救出

し、

「せーの!」とばかりにお料理スタート。挽肉でも野菜でも、あるものすべてをお鍋に投入して、とにかくガリガリ炒めたら、具だくさんのカレーにしてもよして、飲み切れなかった赤ワインを入れ。

ちょっとリッチなシチューにしてもよし出来上がった一品は、名前のつけようのないものもあるけれど、一度としてヘンな味になったことはありません。どれもすごく美味しい。お腹は大満足、冷蔵庫はスッキリで、言うことなし!

私たちの人生も、冷蔵庫探検隊みたいなものではないでしょうか自分のなかの”冷蔵庫“を開けてみたら、奥の奥のほうに、すっかり忘れて

いた極上の食材や、意外なスパイスが眠っているかもしれない。

そんな食材を前にして「さあ、美味しいものは何ができるかな」と考え、ひらめきのまま、パパパパッと新しい料理をつくりあげていく。そこにルールはありません。

出来上がった名もない一品は、きっとこれまでの自分には想像もできなかった、一期一会の味。時に珍味珍品になるかもしれないけれど、それはそれで楽しいではないですか。あらかじめ材料をきちんと用意して、レシピ通りにつくっていけば、失敗することはないかもしれません。でも、料理の腕前 11生きる力は、決して上がっていかないと思います。日頃から冷蔵庫の残り物食材を使い切るために、知恵をしぼっているあなた

には、すでにして大きな創造性と生きる力が備わっているはず。もっともっと自信を持ってチャレンジ、そして時には失敗をも楽しんで下さいね!

 

 

「賞味期限」より自分の感覚を信じる

 

「冷蔵庫探検隊」が救出する食材のなかには、賞味期限が切れているものもあります。ハムやお漬物なんかは、なまじ保存がきくから、気付いた時には期限切れと

いうケースも多々ありますよね。でも、私はどちらかと言うと、賞味期限にはこだわらない人。もっと言うと、賞味期限は「無視」の人です。実際に色を見て、匂いをかいで、「大丈夫!」となったら、ありがたくいただいています。さすがに、ドロドロして悪臭を放っていたりしたら、いくら私でも「無視」

はできません。「ごめんなさい」と謝りながら処分します。ただ、どこからどう見てもまだ美味しそうなものを、「誰か」が決めた期限を過ぎたからといって、なぜ捨てなければいけないのでしょう?私自身の責任のもとで食べるものなのだから、何の問題もないはずです。

 

子供の頃、戦争がありました。食べ盛り、育ち盛りなのに、毎日、お腹が空いて空いて……「飢え」などという生やさしい表現では到底足りないほどの絶望、飢餓地獄です。夜ごと私の夢に現れては消え、ついぞ現実に私のもとへやってきてくれなかった恋しいサツマイモを恨み、心に固く誓いました。

 

もう二度と、お前を口にしない‼と

あれから 77年近くたった今も、どんなことがあろうと、サツマイモだけは絶対に口にしません。

飢えに苦しんだかつての私のような子供は、今も世界中にいます。そして、毎日のように命を落としている。なのに、賞味期限を理由にこんな美味しそうなものをむざむざ捨てるなんて、

私にはとてもできません。

誰かの決めた数字に怯えて、何の疑いもなく従ってしまう。

 

そんな物わかりのいい生き方をする必要は、一切ないかれこれ何十年も期限切れ食品をいただいている私ですが、

ほらこの通り誰よりも元気いっばいです。一度だってそれで体調を崩したことなどありません

賞味期限は単なる目安、あるいは平均値。

医師が私に下した余命宣告と同じレベルのものではないでしょうかもっと自分の感覚を信じ、信念を持って生きてほしいと、強く思います

我が家の冷蔵庫には、まだまだ賞味期限切れの食品が眠っています

 

そろそろ、冷蔵庫探検隊の出番かな……

 

「出会うこと」こそわかり合える一歩

 

最近、 〇〇さんはどうしているかな……?そう思ったら、すぐにスマホの通話ボタンを押します。「元気?・ね、今度、ウチにご飯食べに来ない?北海道から美味しいトウモ

ロコシが届いたわよ」可愛い絵文字を使った携帯メールも楽しいけれど、やっばり基本は電話。直接、相手の声を聞きたい、話したいタイプです。さすが、日本初の電話サービスを起業しただけあるでしょう?(笑)

最近の若い世代は、相手の携帯に電話するのを避ける子が多いそうですね。

気心の知れた友人同士であっても、用件は基本、かメール。直電する時は、事前に「今から電話していい?」とやっばりLINEなどで尋ねるのだとか。

相手の負担になりたくない。迷惑かけたくない。それはそれで大事な配慮かもしれませんね。

一方、我がダイヤル・サービスの各種相談窓口には、悩みを訴える人たちからの電話が、今日もひっきりなしにかかってきます。特にコロナ禍では経済的な不安に加えて、自粛生活で精神的なダメージを訴える人からの相談が激増しました。きっと皆さん、本当は誰かと話したいんでしょうね。

私には何人か、大好きなケンカ友達がいます。異性同性、年上年下関係なく、言いたいことをズケズケ言い合って、だけどいつの間にか、なんとなく仲値りしています。お互いに「ごめんね」なんてわざわざ言わなくても、気が付けば並んで、笑いながらトウモロコシなんかかじっている。やっばり、愛と信頼がなければ、ケンカなどしませんよね。

 

性格も、育ってきた環境も、生き方も、考え方も、ひとりとして同じ人はこの世には存在しません。たとえ血がつながっていたとしても、お互いを尊重しながらわかり合うのには、時に困難もつきまとうことでしょう。

それでも、誰かと一歩でも歩み寄るためには、やはり「出会うこと」。これが一番大事なのではないでしょうか。ネットも悪くはないかもしれないけれど、できれば顔と顔、声と声で、相手と「出会う」。 LINE大切なのは、やメールにはない、表情やイントネーションの発する温度感や波動です。ほんの少しだけ勇気を出して、自分から会いに行ってみる。連絡を取ってみる。相手も案外、あなたと「出会い」たがっているかもしれませんよね。

 

私の世界から大切な存在がいなくなることの本当の意味

 

幼い私をいつも撮影旅行に連れて行き、心身を鍛えてくれた、粋でたくましい父。空襲で心に傷を負った私をしつかり抱きしめて、人は何のために生きるかを教えてくれた優しい母。

ひなた

創業時、陰に日向に支えてくれた、ふたりの女性社員。

誰にも言えない創業期の苦しい日々を慰めてくれた、猫のダイちゃん。みんな、今は空の上にいます。思い出すだけで胸が熱く、切なくなる大切な存在です。

85年も生きていると出会いも多いけれど、別れはもっとあります。つらい別れを、人はどうやって乗り越えられるのですか?・そう尋ねられても、残念ながら私には、うまくお答えすることはできません。

これからまだ世の中に必要だったはずなのに、突如旅立ってしまったケンカ

友達がいました。後に総理大臣にまでなったのに、ある日突然。今でも奥さんと泣き笑いをしながら、彼の悪口を言い合ったりしています。「バカね。なんでこんなに大切な時代に、勝手に死ねるのよ。今こそ、出番、

本番、がんばるべき時だったのに、許せない‼って。でも、一番無念だったのは本人だったはず。その想いが強いからこそ、ふたりの悪口も激しさを増すことに……。涙……。生と死は、理不尽です。本人にとっても、家族、友人にとってもー。

大切な存在を喪うしなった悲しみに沈んでいる時。誰もがひたすら考えます。考え続けます。愛しい人が、自分の世界からいなくなることの意味を。きっとその人は、あなたに何かを気付かせようとしてくれたのかもしれない。深々と刻みつけられた心の傷を、今、そっと癒やしてくれているのかもしれない。

 

かけがえのない贈り物を、あなたに残そうとして下さったのかもしれません。

わかりました。これまで、ありがとうございました。どうか、この先も私のことを見守っていて下さい。これまで通り、厳しく、そして時には優しく。私、がんばりますから。

そんなふうに自分自身に言い聞かせて、納得させるしかないのかも。いや、納得させましょう。そうでないと、諦めきれません。なんで?なんでこんな時に逝ってしまう

の?って繰り返すばかりですもの。でも、これだけは言えます。私たちは、やっばり何か意味があって、この時代に生かされている。それぞれ、お役目があるんです。誰の人生も、もちろん私の人生も、無意味なことなんて何ひとつないんです。私たちも自分のお役目を精一杯務めて、いつか大切な人と胸を張って再会で

きればいいですね。がんばりましょうね。祈……。

 

「準備して」この世に生まれてきた人はいない。人生アドリブよ!

 

若手の役人に演説の原稿を書かせている政治家が大勢いるーとか。最近、とっても驚いたニュースです。経営学を学ぶこともなく起業した私ですが、 53年の社長生活で一度も、誰か

にスピーチ原稿を書いてもらったことはありません。

人生、すべてアドリブです。途中で気が付いて、いろいろ準備したり学んだりすることはあるかもしれませんが、人生そのものが大きなアドリブのステージなんです。自分のなかにもともとないものを、借りてきた他人の言葉で語っても、まったく伝わりません。また、伝える意味もありません。それがどんなに「立派」なものだったとしても。いや、「立派」であればあるほど、むなしく響くばかりではないでしょうか。

まずは相手の顔を見て、目を見て、内側から自然に湧いてくる言葉で話して

みる。それが一番です。そんな度胸、私にはないわ……なんて恐れることはありません。ほら、「冷蔵庫探検隊」なんて、まさにアドリブの真骨頂ですよ。きっとあなたのなかにも、心の奥底に忘れかけていた「美味しい食材」がまだまだ眠っているはず。そんな食材を発掘して、さあ、これを何と一緒に?・どんな調味料で?・と手探りしながらアドリブで料理しちゃうんです。アドリブだからできる組み合わせや味付けで、ビックリするような創作メニューが生まれるかもね。大丈夫!準備なしの出たとこ勝負で生まれてきて、ここまでやってこられたあなたなら、きっとできます。

ちなみに私は、講演会で原稿を読んだりしたことがありません。どんな方が聞きに来て下さるのか、どんなテーマかくらいは事前に伺いますが、当日、会場の雰囲気や聴衆の方の反応を見て、お話しする内容を決めます。子供の頃、「学芸会の女王」と呼ばれていた私です。「緊張して上がる」という意味が、いまだにわかりません(笑)。

 

いくつになっても「人生を豊かにする5K」できっとうまくいく!

 

「母が育児に悩んでいた頃、

『赤ちゃん 110番』に何度も電話して、助けて

もらっていたそうです」

「僕、小学生の頃、両親が共働きで寂しくって。毎日、『子ども 110番』お世話になってました」講演会に足を運んで下さった方や、パーティー会場でお会いした見知らぬ方から

こんなふうにお声がけいただくことがよくあります。

皆さん、今は 40

代の半ばから 50

代の初め頃でしょうか。かつてのあどけない

赤ちゃんや、健気に両親の帰りを待っていた子供たちが、こんなに立派になっ

て……と感無量で、思わず見つめてしまいます社内のデータによると、各種電話相談の利用者の方々からいただいた総コール数は、創業以来なんと 1250万コールを超えているとか!いったい、どれほどの方が私たちダイヤル・サービスを頼って下さっていることか。

嬉しくて、改めて身が引き締まる思いです。

仕事冥利に尽きるって、こういうことですよね。

 

皆さんの生活者としての本音、生の声を聞かせていただく仕事をしていて、

痛切に感じること。それは、どんなに安穏そうに見える人生も、当人にとっては決して楽ではないのだということです。

昼下がりの公園でベビーカーを押す若いママも、ベンチでぼんやり空を眺めている外回りの営業マンも、みんなそれぞれの事情があってつらい。苦しい。私も、女性ベンチャー起業家の草分けとして半世紀以上、激烈なストレスに晒され続けてきました。スポンサー探し、資金繰り、法規制の横やり、男社会からの醜みにくい嫉妬、女性差別。

「今野由梨は、 〇〇〇〇の愛人だ」などと、根も葉もない悪意の噂を立てられたこともあります。政治家、評論家、学者、作家、芸術家、経営者… …有名人の友達は、みんな

愛人ということに(笑)。

 

今もみんな、仲良く付き合っています。「俺たち、愛人らしいよ」と笑いな

がらー

でも、そんなことに傷ついたりしているヒマなんかないそれが私の一番の強みかもしれません。そしていつしか、一生役立つかけがえのない5つの

「かきくけこ」のつく宝物を見つけるのに至ったのです。

 

感謝気合苦難経験好奇心

名付けて、「人生を豊かにする」5K。筆頭は、なんといっても「感謝」ですね。お世話になったり助けてもらったり、素敵なプレゼントをいただいたりした

時はもちろんのこと、たとえ歓迎すべからざる出来事であっても、まずはとにかく「ありがとう」。今は、朝から晩まで「ありがとう」と言ってるようなものです。もう無意識に、知らぬ間にクセになって口から出ている。

「ありがとう」の言葉には、何か不思議なパワーが感じられます。私がいつも元気なのは、そのパワーに知らぬ間に守られているからかもしれません。

5k

裏切りも身に覚えのない中傷も、できればされたくはありませんよね。でも、人生に理不尽はつきもの。「なぜ、私ばかりがこんな目に?」と恨んでみても、ドロドロした負のエネルギーは内に溜まる一方だし、ますますあちらの思う壺です。それよりも、「これは得がたい経験。タダで人を見る目を養うチャンスだわ」

あえてそうとらえて、感謝してみる。すると、相手や物事が俯諏で眺められるようになり、「ああ、こういうことなのか」と、腹に落とすこともできるの

ではないでしょうか。なにより、しかめっつらで「ありがとう」と言う人っていませんよね?きっと、誰でも自然に口角が上がって、優しい顔になるはずです。時に、相手を思っての厳しい言葉も辞さない私ですが、毎日数えきれないほど「ありがとう」と感謝することで、自分自身をも救っている気がします。

まずは感謝して覚悟を決めたら、「気合」注入です。「すべてどこからでもかかってきなさい‼」と自分に思いっきり活を入れる。

そうすれば、「苦難」も貴重な「経験」となる。カギを握るのが「好奇心」です。85年生きてきても、まだ世の中には知らないことがたくさんあります。去年の 7月には、アメリカで 82歳の女性が宇宙旅行したそうですね。私も月

に行ってみたい"子供の頃、天体観測が大好きで、渾名が「かぐや姫」だったんですよ。やっばり、かぐや姫としては、いつかこの目で確かめてこなくては……。

ワクワクやときめきに、年齢制限はありません。あなたも私も、せっかく生まれてきたんですもの。周囲も自分も笑顔にして、人生を楽しみ尽くそうではありませんか!

 

おわりに

 

最後までお読み下さってありがとうございました数多くの本のなかから、この本を手に取っていただいたことだけでも、凄い

ご縁を感じて感動しております。必ずしも共感いただけることばかりではなかったかもしれません

いま

近頃は昔の体験や、それを乗り越えての「現在」を話すたびに気付かされることがあります。”そんな「夢」や「希望」を語れるほど現実は甘くはないわという人が増えているように思えるのです

 

その一方で、何とかして自分も、どんなに小さくてもいいから使命やお役

目を見つけ、誰かに「ありがとう」と言われるようにがんばりたい!“という人たちも。確かに、来る日も来る日も朝から晩まで、これでもかと暗いニュースの大洪

水!お気持ちわかります。でも、だからこそ、この本を書かせていただきました。思い出したくもないほどの試練の連続の結果、 85年間涙を笑顔に変えてがん

ばってきたら、なぜか誰よりも元気に「ありがとう」の今を迎えることができ

たからです。私が生きた人生はひとつ。変わることはありません。泣いても怒っても、笑っても、感激しても、いずれもたった一度の大切な

「我が人生」なのです。あなたが幸せになられることで、周りの人々が幸せになれるのです。お元気な皆さんと、いつの日かお会いできますことを、心から期待しており

おわりに

ます。また、刊行に当たり、素敵な推薦文をお寄せ下さった我が友、坂東顔理子さんに厚く御礼申し上げます。さあ、明るい明日のために、これからも手をつなぎ心をつないで、がんばって参りましょうね。どうぞ、お元気で。

2022年 2月心からの感謝をこめて

 

今野由梨(こんの・ゆり)

「赤ちゃん 110番」「セクハラ・ホットライン」など斬新な電話相談サービスを世に送り出してきたダイヤル・サービス(株)の創業者にして現役の代表取締役社長。 1936年、三重県生まれ。津田塾大学英文学科卒業。

64年、ニューヨーク世界博党会のコンパニオンとして彼の地に滞在した折、電話を使った新ビジネスのヒントを掴み、 69年に同社設立。法規制と戦いながら、時代のニーズに応える数々のサービスを立ち上げる。 85年に情報化月間「郵政大臣貸」、98年に「世界優秀女性起業家賞」受賞。 2007年、旭日中綬

蕗を受章。若手起業家への支援も積極的に行い、「ベンチャー

の母」として、また「国境なきお母さん」として、中国・韓国

などのアジアのリーダーたちからも慕われている。

 

2022年3月20日第一刷発行

著者………今野由梨発行者…・:島野浩二発行所……株式会社双葉社

80代、人生これから

こんのゆり